 |
五輪塔 |
多井地区の共同墓地内には、五輪塔や宝篋印塔が100基以上もあります。海士村誌下調べでは、「大字多井二古墳アリ。周囲約百門、二重二囲ラス二五輪塔ヲ以テシ。中二二基ノ稍大ナル五輪塔アリ。一見偉人ノ墓ト認メラルレドモ其何人ノ墳墓ナルハ確カムルコトヲ得ズ、然共、此ノ墓ノ構造ヨリ推想スレバ中央ハ主人公ニシテ、周囲ノモノハ其ノ殉死者二該当セリト認メル」と記されています。この墓のある多井地区は、幕藩時代には島前13ヶ村中一番小さく、流人の受け入れも難しいような経済力の低い村で、言い伝えにもこの五輪塔を祀るような経済力のある豪家があったことは伝えられておりません。現在、屋根掛けをしてある二基の五輪塔を、昔から「エメズドさん」と地元民は呼んでおり、この五輪塔についての伝承は殆どありませんが、ただ一つ「エメズドさん」については「もし多井村が一大事の時には、この下を掘れ。」という言い伝えがあります。近年、この近所で遺跡が発見され、奈良時代の人の住居跡であるといわれ、地元の人には「長岡京建設にかかる政変で、隠岐流罪となった大伴一族の墓ではなかろうか」という人もいますが、勿論、史実的に実証するものはなく、あくまでも推測の域を出ません。「エメズドさん」は現在でも里人により香華を手向けられています。
 |
| NO MATERIAL |
伝説 伝説の池(金光寺内) |
|
流刑となった小野篁が、仏像を作っていた木片が池に落ち、鮒に変身したと伝えられています。その鮒は、里の池に放流してもいなくなり、死骸も見つからないので、金光寺に帰ったのだと古老は申しました。

|
 |
神話 くにびき神話 佐伎の里の碑 |
|
出雲風土記によると、出雲の国が未完成なことを憂いた八束水臣津の命が、4つ国から国を引き寄せて縫い合わせ、現在の島根半島ができたとされています。
その中に出て来る「北門の佐伎の国」が海士町崎であることが、平城京跡から出土した木簡の記述などから立証されています。碑は平成12年10月建立されました。

|
 |
民話 隠岐随一の石仏(金光寺内) |
|
通称水かけ不動明王。昭和初期に鎮座。口伝では、不治の病にかかった内地の方が、池の水により治癒したので、後刻身代わりとして、この不動明王を建立したといわれています。池の水は、神経痛、皮膚病に効能があり、今でも多数の参籠者が絶えません。

|